INTERVIEW
田中 謙治KENJI TANAKA
法人第3部シニアマネージャー
「就職氷河期」の2000年に大学の生産工学部建築工学科を卒業し、東証一部上場の空調機器メーカーの関連会社にセールスエンジニアとして就職しました。
待遇も良く、穏やかな環境で特に不満もなかったのですが、30歳を目前にして「自分のキャリアはこれで良いのか?」という漠然とした不安に駆られたのです。
とはいえ、明確な目標もなく、まずは何か資格にチャレンジすることに決めました。そうすれば何か見えるかもしれない、と考えたのです。
経営やビジネスを広く見渡すスキルが身に付く、という動機で、最初に選んだのは「中小企業診断士」です。ところが実際に勉強を始めてみると、必須の簿記がまったくわかりません。
そこで、まず簿記の攻略に専念したのですが、簿記3級、簿記2級と取得するにつれ、すっかり簿記の魅力にはまってしまいました。さらに「税理士試験」に挑戦することを決意。努力の甲斐あって受験1年目で「簿記論」に合格することもできました。
仕事と勉強の両立に限界を感じていたこともあって、思い切って退職して受験に専念したまでは良かったのですが、なかなか思うような結果が出せず、焦り始めていました。
ちょうどその頃、知人から北海道の税理士事務所を紹介されて、入社することになりました。所長や所員も若く、「若手でもどんどん任せて伸ばす社風」もあってとても伸び盛りの税理士事務所です。
「経験者の欠員補充」で採用された経緯もあってか、「即戦力」としての活躍を期待されていたようです。実際にいきなりお客様40社を担当し、月次の決算報告や入力チェックなどの監査業務を任されました。
とはいえ私は実務未経験で、知識も浅く素人同然です。正直なところ、「自分が何をしているのか?」「お客様が何を質問しているのか?」があまりわからず、毎日ドキドキでした。
わからないことばかりなので、何か質問されると「すぐにお調べしてご連絡します」の連発です。当然、お客様に叱られて辛いこともたくさんありました。それでも「頑張れよ」と温かく見守ってくれるお客様も多く、「早くお役に立てるようになりたい」、その一心で毎日過ごしていました。
北海道で4年が経った頃、ご縁でアマヤ・パートナーズと出会いました。とても温和な雰囲気で、代表は、私の話を黙って聞いてくれました。「我流の知識しかなく、キャリア形成に不安があること」「もっと深くお客様に寄り添いたいこと」をお話しました。
その際、アマヤ・パートナーズの知見や経験を反映した「業務マニュアル」や「チェックリスト」が整備され、実際に活用されていることや、法人税はもちろん「事業承継」など社長の抱える課題をワンストップで解決したい、というお話をお聞きし、「ここなら体系的に早く深く税務を学べる」「しかもお客様に深く関われる」、そう確信したのです。
実際に「チェックリスト」をベースに仕事をすると、見落としていた点を早い時点で発見できるなど、メリットが非常に高いと実感しています。
またお客様の決算書は「当事者」「同僚」「上司」によるトリプルチェックを行うので、見落としがあれば必ず指摘してもらえます。逆に他人の決算書のつくり方も勉強でき、とても参考になります。
このように「効率が良く合理的な業務」を体系的に学べること、さらに深い知識も自然に身につくことにとても喜びを感じています。
現在、担当しているお客様は15社ほどで、規模も大きく歴史のある会社も少なくありません。
月次試算表の説明をさらっと済ませていた以前の仕事とはまったく異なり、「その試算表をどう読み解くか?」「その根拠は何か?」「その指標は来年、あるいは3年後にどう影響するのか?」「その上でどんな施策を打つべきか?」など、知識や経験を総動員したアドバイスが求められます。
カバーする範囲も、法人税だけではなく、相続税や所得税、贈与、不動産に関する知識も必要になります。まだまだ至らないことばかりですが、本物のコンサルティングを自らが提供する、「まさに天職」と奮い立つ気持ちです。
当面の目標は、税理士試験の残り3科目の合格です。
朝5時に起きて1時間、往復の通勤電車で3時間、昼休み1時間、帰宅後にできるだけ、そして休日の専門学校。時間を決めて集中するペースができました。
難関の相続税はじめ、所得税や贈与税をキースキルとして、事業承継を含め経営者の悩みにトータルにお応えする税理士になりたいと思っているところです。
私は後輩に教えることも好きなので、しっかり面倒を見ることをお約束します。ぜひ安心して来てください!